• 東京都清瀬市で活動しているサッカーのクラブチームです。

4/5〜6、清瀬内山グランドABC面を利用して

第3回マケルモンカ!!清瀬 被災地交流サッカーフェスティバルを盛大に開催しました。

2011年3月11日、東日本大震災が起こりました。

それ以前から交流のあった福島県のREGATE  FCのザキヤマ代表と連絡を取り安否を確認。

そこで少しの安心はしたけれど

テレビで毎日放映される家屋の崩壊、土砂崩れ、地割れ、そして津波、そしてそして原子力発電所の事故。8年経って何が復興されたか、何が元どおりになったのか

Jヴィレッジの再開はサッカー界にとってはとても嬉しい話だけれど

まだ福島県内では特別通過交通制度が適応されている区間がある、原発事故による全町避難を受け、1万5千人いた住民がゼロになった福島第二原発近くの原発の町もある、帰還困難区域指定箇所を除く多くの場所が避難指示区域から解除されたのは、震災から6年経った春。平成30年末までで帰還した住民は震災前に比べて1割にも達していないという現状、毎日配られてくる新聞には「今日の県内の放射線量」というページが今でもある。

そういった事実から目を背けることはできない。

今回、福島県から4チームが笑顔で清瀬に来てくれた。

7年前はマイクロバスで移動してくる途中、関東に入ってからガソリンスタンドに給油に寄るとお店の人が足早に寄ってきて給油したら早く出てってくれと言われたいわきナンバー。当時、その話を聞き、激しい憤りを感じてそのチームの指導者と懇親会で涙した覚えがある。

もう一つエピソードを載せておきたい。

今回来てくれたカメラマンは全国の少年サッカー界で有名な方の一人、震災のあった年の全日本少年サッカー大会福島県大会の決勝戦の場でもカメラを構えていた方。
その時はまだ夏休み開催だったので、予選が6月頃に各地で行われていた。
震災直後で、原発事故の件もあり各地域での予選が困難な状況下で福島県では開催も危ぶまれる声もあったが、比較的影響の少ない会津地域で全136チームによるトーナメントでの開催にふみきった福島県サッカー協会。
ただし、条件として雨が降った場合は、「即座に試合を中断にする」ということで開催された。
放射線の線量的に安全な場所で行われているとはいえ、降雨時の放射線の影響がまだあったことを考えると、やむを得ない条件だったのだと思う。

そして大会は決勝戦を迎えた。
両チームともお互い譲らず、試合は延長に。
そして無情にも降りだした雨。
試合は中断。
15分待っても雨はやまず、規定通りコイントスにより勝者を決めることに……

…という出来事まで、報道や新聞などで知ることができた。
正直、全国大会出場がコイントスで……と腑に落ちない私がいたのも事実。
「再試合できないのかな…」と思った自分がいたのも事実。

ただ、後日その決勝を取材したカメラマンの方から話を聞くことができた。

決勝での雨……
規定とはいえ、コイントスという方法で決めることになった時、その苦渋の決断をした本部の方々は皆さんは涙を流しながらその決定の瞬間を見届けたそうだ。

そう、誰一人納得なんかしてない…
でも子どもたちの安全を最優先しなければいけない。
ここに来るまでの各選手や各チームの苦労ももちろんわかっていたはず

でも…
誰も悪くない。
誰のせいでもない。
ぶつけようの無い感情を胸に抱きながら、その決断をされたのだ。

そのカメラマンの方から、その話を聞かなければ、あやうくコイントスでの決定をマイナスなイメージのまま抱き続けるところだった。
自分の浅はかさを恥じた。

そして…
そのカメラマンが、今回のフェスティバルで各チームの躍動するプレーや満面の笑顔の集合写真を撮影してくれた。

本家の「マケルモンカ!!福島復興大会」も第1回から撮影をされているし、もちろん分家の「マケルモンカ!!清瀬」にも第1回からお願いしている。

様々なことが変わっていく中で、子どもたちだけでなく私たち大人も歴史や文化として語り継ぎ

スイッチを押せばいつでも電気がつき

蛇口をひねればいつでも水や温かいお湯が出て

ガソリンスタンドに行けば満タンに給油できる

のは永久の当たり前では無いということ。幸せな状況であり、色々なことに感謝して生活していこうと伝えたいしたいし、8年前の同じ世代の子たちがサッカーがしたくても出来なかった。

被災に遭っただけでなく色んなことに不自由を強いられ我慢や苦悩を追った日があったという事を現代の子たちには知識として知り、感じ、感性豊かな子に、助け合う心を持った子に育って欲しいと思う。

また、いつ震災が起きても不思議では無いこの国にいる以上、防災の意識も持ってもらいたい。

長々と書いてしまったけれどそんな想いを持ったフェスティバルですが楽しさを前面にそして全面に出して開催しました。

2日間で60チームを大きく超える申し込みを受け、調整に調整を重ねての対戦表になりました。

伊藤園さまから麦茶の提供!!

ありがとうございます😊

多くのチームや個人から応援金の募金が集められました。

集計後、福島への応援金として責任を持ってお渡しします。

今回、賑わいを見せたケージボールコート

一般社団法人 日本ケージボール協会さまからのご提供!!

ありがとうございました😊

指導者仲間から募金が募られました。

その募金から福島県からの参加チームに対してお弁当とお菓子のプレゼントがなされました。

カイロプラクティックの矢野先生によるヤノリング

多くの方々に興味を持ってもらえました。

試合後にREGATE  FCとパチリ📸

1日目の活動終了後、川越のsgrumフットサルスタジオにてウェルカムパーティーを開催。

福島からの参加チーム

REGATE FC(石川町)

ビアンコーネ福島(郡山市)

富田西SSS(郡山市)

川俣SSS(川俣町)

と Refinoの6年が参加してフットサルやBBQをして盛り上がりました!!

選手たちだけでなくコーチたちも盛り上がりました!!

福島の子どもたちが元気なのは、指導者がみんな元気だからだろう

でもその指導者たちの心には私たちが想像できないほどの辛さや悲しみを乗り越えた強さがある。

素晴らしい方たちだ。

子どもたちもコーチもたくさん友達出来ましたぁ~!!

 

2日目、伊藤園さまから提供された麦茶を配布、気候も良くとても喜ばれました!!

開会式では

1日目に清瀬市長、渋谷さま

2日目は東京都サッカー協会会長、林さま

からご挨拶を頂き

矢野先生によるヤノリングの実演とフットバッグ世界チャンピオンの石田太志氏のパフォーマンスを見せてもらいました。

2日目のMCは、町田ゼルビアのスタジアムDJをしているプロのマイクパフォーマンスもあり盛り上げてくれました。

色々なチームから選手、コーチが募金をしてくれました。

イベントエリアでは、選手たちだけでなく色んな方々が楽しんでいました。

福島県、富田西SSSとパチリ📸

2日間審判を務めてくれた FC ConsorteU14のみんな、ありがとう!!

謝礼のお菓子でーーす。

多くの方々に協力を頂き、子どもたちのために盛大なフェスティバルを行えたこと、とても有り難く嬉しく思います。

ありがとうございました😊

 

楽しかったですね!!